日大全共斗・風俗資料館(服装変遷史)

上着編

1968−5−23
 錦華公園初デモ(200mデモ)の出発時=学生服が最前列だった.
 初期全共闘の姿

 

 

 

 

 

1968−5、6月
 白山通りデモ=白ワイシャツのデモ学生
 この頃は,VAN,JUNなどのIVYファッションの全盛期であった.
 初夏の暑い時期なので,学生服を脱いで,白Yシャツ姿の学生が多かった。
 下はもちろん黒あるいは、紺のズボンである。
   (写真メンバーを見る限り、付属高出身者のてい団のようだ。彼らはこの後、
   闘争の最盛期には理工学部内に付属校の連絡協議会本部を設置したと聞いている。)

 

 

 

 

 

1968年夏季斗争=典型的な全学連スタイル。
 ジャンパーに様々なズボン・・・・スニーカー そして、手拭いの覆面。
 ちなみに,右上に見えるハンドスピーカは,秋葉原のラジオ会館で買ったもの。

 

 

 

 

 

1968年9月斗争=白ワイシャツと,サファリジャケットの学生。
 理工9号館建設予定地でビラまきする学生。

 

 

 

 


 

1968-9月
経法・校舎奪還斗争。
 当時経斗委で流行っていた、サファリジャケットとGパン姿の秋田議長。
 
秋田議長の隣には中村君が・・・・
 中期全共斗ファッション
 はじめ経斗委大槻君が着ていたのを格好いいというので,売ってる店を彼に教わってみんなで買いに行ったものだ。
 以来、しばらく流行した。
 ちなみに彼、大槻が最初に購入したのは下北沢の中古服店だった。

 

 

 

 

 

 

   

 米軍払い下げの戦闘服に身を固めた典型的な、後期全共斗ファッション。
 はじめ経斗委の水登君が、アメ横中田商店で購入した。
 これは最高だ!と言うわけで、みんなで上野アメ横に殺到した。
 日大生たちのご用達で街中の戦闘服が払底し品切れが続出、中田のオヤジが音を上げたそうだ。
 品切れのため、代品として、三色旗つきの西ドイツ国防軍やオランダ軍等の野戦服着用の者もいた。
 アメ横では、突然のこのブームで各店が、中古軍服を大量に仕入れ、売りまくり、それでも足りないので、その後、国産・韓国製のレプリカが大量に出回った.
 以来、この米軍の中古軍服は、日大全共斗の統一制服の如き存在となった。
 何しろ日大全共斗は、数が多かったから、アメ横各店の売上も空前のものであったらしい。
 当時はやり始めていたブルージーンズに米軍野戦服、そしてライトブルーをはじめ、各斗委の様々なカラーのヘルメット、これがその後の経斗委、否、日大全共斗全体の定番ファッションとなったのです。
 その後、日本全国に、空前の軍服ブームが起こったのは、皆さん、ご存知の通り。
2013年の現在でもカメラマンや一部の人が着用しているのをよく見かける。

 

 

 

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