日大全共斗経斗委HP

 

日大闘争ドキュメント

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1971年以降の日大闘争

 

連合戦線(ライトブルーヘル)
自分の原点に立って戦う。みんなが集まって情報交換する。
(設立時の趣旨=短大闘委活動家証言)

1971年

1972年

1973年

1974年

1974-6-28  経済学部サークル会議・襲撃事件
     日大当局と関東軍による血の弾圧事件

  その日、階上で集会があるらしいということなので、階段を上っていったとき、
  階段の途中に血だまりがあるのを見つけた。
  それも一つや二つではない、ボタボタと連続して垂れていた。
  7階の教室に入ったときにはすべてが終わった後だった。
  階段踊り場においてあったはずの石製の大きな灰皿が、教室に
  血のりの着いたまま、転がっていた。
  聞くところによると、関東軍の襲撃者たちは、この重い灰皿といっ
  ても、コンクリ製で円筒形の大きなのものを振り上げ学生の頭に振り
  下ろしたのだという。
  当然負傷者が出る。
  すさまじい暴力の嵐が吹き荒れたという。

  そして、その結果、サークルとして最後まで抵抗していた釣和会、
  社研、・・・、・・・などが大学当局の命令によって、強制解散されたのだ。
  それがそれらサークルの最後だったという。
  それ以後、社研などの学術的サークルを二度と見ることはなくなった、という。

  誰にも知られずに闇に葬られたこの事件のことを当事者F君から聞いたとき、
  筆者は、言葉が出なかった・・・

  当事者F君は続けて言う。
  この光景を目撃して頭がボーツとなり、翌日から何も考えずにビラを作り
  学内で撒いたという。
  彼、F君は一夜にして、ライトブルーのヘルメットをかぶり学内で活動する
  日大全共闘経闘委になったのだという。

  彼の作ったビラが現存していた。
  スクラップブック一冊分にもなるビラが保存されていた。
  それ以降彼が卒業式をライトブルーのヘルメットで、両国講堂で撒くまで、
  彼の戦いは続いたという。
  自分は最後のライトブルーのメットを被った者である、彼は胸を張って静かに
  筆者に語った。
  筆者は最後まで言葉が出なかった。
  そして一緒に話を聞いていた傍らの者につぶやいた。
  「こ、これは、ま、まさに、日大闘争だよな?」と・・・

 

1974‐7-1? 経済学部サークル会議・襲撃事件への抗議集会
     法学部2号館前 4〜50名

     法学部学生,日大本部前で抗議の焼身自殺。

     経済学部社研(社会科学研究会)、当局命令により
     関東軍の恫喝のもとに,強制解散。
     (以後,学術部門研究会は,今にいたって存在していない。)

1975年

1976年

    リンチ殺人事件=拳法部(体連)学生が部内のリンチで殺される
    一般学生,体連の暴力事件に抗議行動

1976‐4月  日大入学式粉砕! チラシまき敢行!行動は,2名

      ライトブルーのヘルメットが登場したのはこれが最後だった。
      それ以後、ライトブルーが登場することはなかった。(当事者F君証言)

 

      最後の日大全共闘=「日大全共闘を継承する者」は、いずこへ・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日大経短学生会および学生委員会 日本大学全学共闘会議経済学部闘争委員会(けいとうい)

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