<タイムマシンで1968年を再び・・・> 

日大闘争事実経過   (1968年) 9・30以降の事実経過

<お断り:>
文中意味不明・誤字・脱字等、多々ありますが、なにぶん1968年、69年当時の私たち(経斗委の各斗委)は忙しく、原稿を推敲するまもなく次々と事態が展開していく中でのガリ切りと印刷(みんなが寝静まった時刻の旧式謄写版での深夜の作業)、そして翌朝の学生全員への配布なので、不備多数ありますが、あえて修正せずに、当時のまま載せます事をご理解ください。

 

 

 

 

 

(1968) 12・27 津田沼生産工学部授業再開阻止(両国講堂)

(1968) 12・24 郡山工学部斗争委員会学部長と団交行う。

(1968) 12・23 全学総決起集会(法1号館)
      日大、中大斗争勝利全国学園斗争勝利総決起集会(中央大学キャンバス内)

(1968) 12・22 経済学部学年別討論集会(組織化、9・30確約事項の細分、細密化を成す。)

(1968) 12・21 右翼(4年有志)・民青によるデッチ上げ集会が津田沼生産工学部で行われる。
      バリケード撤去・授業再開決議を強権暴力的に行う。(1,200名)
      上智大学に機動隊導入、徹底抗戦した53名の学友不当逮捕される。
      大学当局は6ヶ月間のロックアウト誓言
(ママ)をする。

(1968) 12・16 経済・法学・商学二(注2部)、学部4年生を対象に疎開授業再開さる。右翼体育会学生を介入させ、機動隊が周囲を護衛し、1泊2日で前期講義単位となり卒業とどけ可能。

(1968) 12・15 日大闘争報告大集会(東大安田講堂)労働者・学生・市民に日大闘争の革命性を伝え、ともに闘うことを呼びかける。(5,000名結集)

(1968) 12・6 9・4の件に関しアルバム編集委員不当逮捕さる。
      ・・・・・古田反動理事会は12・6にさかのぼって寄付行為改正がなされたので全理事総退陣はなされたものと言明す。

(1968) 11・28 経済2年斗争委員会同志、不当逮捕さる。

(1968)  11・25 9・4の件(殺人罪)にて7名不当逮捕さる。

(1968) 11・22 東大・日大闘争勝利全国学生総決起集会(東大安田講堂前)全都、全国から先進的学生、労働者2万人結集する。

      日大斗争の破壊の思想、非妥協の質を東大斗争に注入し、全国学園斗争勝利の先進を確認する。

      国家権力機動隊は強固な弾圧体制をとり、集会破壊を成そうとする。

(1968) 11・19 全学集会(大衆団交要求・不当逮捕状逮捕粉砕)

(1968) 11・18 法斗委員長・経斗委同志不当逮捕さる。

(1968) 11・16 全学4年生連絡協議会結成さる。

(1968) 11・15 芸術学部不当逮捕者46名送検・全員拘留さる。

(1968) 11・13 経済学部先進的2年生闘争委員会同志、不当逮捕さる。

(1968) 11・12 芸術学部に機動隊導入、英雄的芸術学部学友徹底抗戦を展開し、全員46名不当逮捕さる。

            機動隊導入は11・8関東軍との攻戦の際の暴力傷害etcを名目にしての権力の闘争圧殺であり、1200発の催涙弾を投入し血みどろの弾圧を行う。全学共闘会議、大衆の力を持って再び芸術学部を再度奪還す。

(1968) 11・11 経済学部父兄会結成さる。

(1968) 11・10 全学父兄会(両国講堂)全共闘が校友会・後援会の欺瞞性を父兄に暴露し全学共闘会議につく。

(1968) 11・9 三崎祭

(1968) 11・8 経済学部父兄会(両国講堂)民主的父兄会結成さる。@全理事総退陣A授業再開まで授業料不払いetc・・・を決議する。

           芸術学部に関東軍襲撃。
           (400名)機動隊が芸術学部を包囲し右翼暴力学生(他大学=国士館、拓大、中大、明大、早大、法大etc)暴力団を護衛する。
           百数十名が重軽傷を負う。全学弾劾集会(1:00法1号館)11・8早朝芸術関東軍襲撃に対し、古田理事会を弾劾する。

           三崎際前夜祭(パレード)羽仁五郎・日高六郎講演会(経・大講堂)

(1968) 11・6(水) 教職員連絡協議会の古田理事会との団交拒否される。

(1968) 11・4(月) 農獣医学部にて右翼「日新会」集会
             経済学部4年・短大2年父兄会開催(両国講堂)その場で父兄会結成さる。(後援会系=古田理事会)

(1968) 11・2(土) 全学弾劾集会・羽仁五郎講演会(法1号館) 教職員連合デモ(1000名)

(1968) 11・1(金) 古田居直り弾劾集会 デモ60名

(1968) 10・30(水) 古田居直り発言。9・30大衆団交で確約した全理事総退陣は寄付行為改正以後に行うと言明。
               9・30確約事項を一切全面破棄する。

(1968) 10・14(月) 郡山工学部に東京から結集した右翼暴力学生(体育会系)暴力団が襲撃し火炎ビンを投入しバリケード破壊をせんとする。

(1968) 10・9 全学総決起集会(法学部1号館)

(1968) 10・4 全共闘議長秋田明大氏ら八人に対し逮捕状出る。

(1968) 10・3 10・3大衆団交古田理事会一方的に拒否する。10・1佐ト(佐藤)政治委員会(政府)のあとおしで力を得ての強権的行為。

(1968) 10・1 佐藤発言「昨日9・30大衆団交・人民裁判方式は認める事は出来ない。
           今後大学問題は政治社会的 問題として対処すると言明。」

(1968) 9・30 大衆団交(両国講堂)3万人を結集し12時間にわたり古田理事会に責任追及を迫り、自己批判をさせ、確約事項をかわす。
           右翼(日新会)が大衆団交を破壊せんとする。
           芸術学部を右翼が襲撃し、バリケードを破壊す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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